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Låt den rätte komma in ぼくのエリ      Let Me In モールス

スウェーデン映画 (2008)                         アメリカ映画 (2010)

『ぼくのエリ』は、同名の原作『正しき者を入れよ(仮題)』(2004)を映画化したもので、2017年の段階で124の賞にノミネートされ72受賞している。Rotten Tomatoesで98%(178/182)、Average Rating 8.3という数値は、非常に評価が高いことを意味している〔米アカデミー11部門受賞のLOTR『王の帰還』でも、95%(249/264)と8.7〕。その2年後に封切られた『モールス』は42ノミネートされ14受賞、Rotten Tomatoesは88%(195/222)と7.6と、リメイクとしてはかなりの高評価だ。この2つの映画は非常によく似ている。一部、順序が入れ替わっていたり、小さなエピソードが違っていたりはするが、メインストリームは完全に一致している。そこで、2つの映画を対比しながら1つのあらすじで紹介することにした。全32節、写真枚数は83だが、すべて2つに映画に対応している。原則として同一の台詞、台詞がない場合は、同一のシチュエーションの映像をピックアップした。『ぼくのエリ』の日本公開時の題名は『ぼくのエリ/200歳の少女』だが、前半だけで検索はできるので、後半の部分は意図的に削除した。エリの本当の名前はエリアス(Elias)。映画では割愛されているが、約200年前にヴァイパイアにされた時は12歳の少年だった。原作によれば、去勢され、何度も血を吸われてヴァイパイアになった。だから、少年であって少女ではない。中性化して以降、恐らく身の安全を守るためと、きれいな顔立ちから、女装して行き続けてきたが、「200歳の少女」と断定するのは誤った先入観を与えるため好ましくないと判断した。この映画が高い評価を得たのは、これまでのワン・パターン化した多くのヴァイパイア映画とは全く別の 新しい地平を開いたからであろう。ひっそりと隠れ、同族を生まないように配慮しながら、細々と生き延びていこうとする小さな生命。これまでにはなかったヴァンパイア像だ。北欧の冬も素晴らしい映像美を見せてくれる。それを支えているのが、原作者自らが手がけた見事な脚本だ。原作の錯綜した記述がきれいに整理され、分かりやすい構成になっている。一方、リメイクのアメリカ版の舞台が、ニューメキシコというのは驚いた。こんな南の州に雪を降らせるため、標高2200メートルのロスアラモスを選んではいるが、スウェーデン版のようなダイヤモンドダストは望めない。北部の州をなぜ選ばなかったか? ヴァンパイアを演じるのは、撮影時12歳のLina Leandersson。低い声の持ち主で、髪の毛さえ短ければ少年にも見える。元・少年の役にはぴったりだ。リメイク版では、同じく撮影時12歳のクロエ・モレッツ。『キック・アス』(2010)で大ブレイクした1年後だ。こちらは、声が少し高く、元・少年という感じはあまりしない。アメリカは人材豊富まので、いっそ少年を女装させた方が、本来の姿に近かったもと思わせる。日本語版字幕は、両方の映画とも、中性的な言葉遣いにしているが、ともに、「私」と言わせている。これは少年らしくない。原作の日本語訳は、その点うまく配慮していて、「主語」を使わないように訳している。最後にリメイク版を観た感想だが、当初観た時は、スウェーデン版を観てから時間が経ってあまり気付かなかったが、今回詳細にチェックして、あまりの「類似ぶり」に、逆に驚いた。リメイク版を作る意義は、プラスαにあると思うのだが、こうも似たものを作られると 「なぜ?」と思ってしまう。映画の製作費は、スウェーデン版の400万ドルに対し、アメリカ版は2000万ドルと5倍。アメリカでの興行成績は212万ドルに対し1213万ドル(世界全体では、それぞれ、728万ドルと2208万ドル)。確かに、アメリカ映画だと全世界に行き渡る。監督マット・リーヴスが惚れ込んだとあるので、世界中で見てもらうために、敢えてそっくり版を作ったのだろうか?

オスカルは、同級生のコンニュたちから常時虐めに遭っている。毎日が憂鬱でたまらない。そんなオスカルがある夜、自分のアパートの同じ階、しかも、隣室に引っ越してくる2人連れを見かける。1人は自分と同年代の少女だ。虐められるだけで、女の子には縁のない存在とはいえ、関心がないはずはない。次の日も、学校で虐められ、帰宅後、アパートの中庭に出て、ウサ晴らしに 木にナイフを突き刺していると、突然その少女が現れる。会った端(はな)から、友達にはなれないと言われ、オスカルはがっかりする。しかし、翌日の夜にはルービックキューブを持参し、少女の興味を引くことに成功。少女に貸すことで、また会う口実を取り付けた。そして、次の夜に会った時に、エリという名前と12歳という年齢を聞くことに成功する。心は有頂天だ。こうしたオスカルの、「ダメな男の子の寂しい現実」と平行し、町の近くの森では、非現実的な事件が起きていた。1人の青年が森の中で木の枝から逆さまに吊るされ、喉を切られ、血の入った大きなポリタンクが現場に残されていたのだ。この猟奇的、もしくは、儀式的な殺人は大きな話題となった。それを実行したのは、エリと一緒に住んでいるホーカンという老人。ヴァンパイアと化したエリに、血を与えるために決死の行為に出たのだが、運悪く ポリタンクを忘れてしまったのだ。そのため、血に飢えたエリは、アパートの近くで通行人を襲って血を飲み、その後に殺す。殺さないと、ヴァンパイアになるからだ。エリが血を飲むのは、200年前、無理矢理ヴァンパイアにされたからで、他のヴァンパイアを作るためではない。エリの無謀な行為にホーカンは怒り、仕方なく死体を隠しに出かける。壁越しに響いてきた怒鳴り声を聞いたオスカルは、壁越しに話せればいいなと考える。そして、学校に行き、モールス信号の本を借りてきて授業中に書き写す。しかし、オスカルの行為はコンニュに見られてしまい、授業後に何をしていたか問い詰められる。そして、答えるのを拒んだため、棒で頬を叩かれて傷を負う。その傷を見たエリは、反撃しろと鼓舞する。一方、ホーカンは2回目の「採血」に出かけ、完全に失敗し、身元を隠すため自ら顔に塩酸をかける。エリは、それを知ると、入院先の病室に行き、ホーカンの希望に添って血を吸い、窓から身投げさせる。唯一の身寄りのなくなったエリは、その夜、オスカルの部屋を訪れ、オスカルが思い切って申し出た「ステディ」になることをOKする。このことで自信をつけたオスカルは、次の日の課外授業で氷結した湖に行った時、コンニュから湖の穴に落とすと脅された時、見つけた棒で叩いて自衛する。その勇気をエリに褒められたオスカルは、血の契りを結ぼうと自分の手を切る。しかし、その血を見たエリは、オスカルの前で本性を現してしまう。エリの部屋に初めて入っていったオスカルは、エリに、「ヴァンパイアなの?」と訊く。エリが肯定しても、オスカルは付き合い続ける。今度は、エリがオスカルの部屋を訪れる。オスカルはエリに慣れてきたので、入る許可を与えなかったらどうなるかを試そうと、意地悪する。その結果、エリの体中から血が流れ出す。慌ててバカな意地をやめるオスカル。血まみれのエリがシャワーを浴びた時、オスカルはエリが、今まで「女の子じゃない」と言ってきたことの意味を初めて知る。それでもオスカルの思いは変わらない。オスカルは、エリの部屋に泊まりに行き、翌日の朝 部屋に侵入してきた「エリを殺そうとする近隣の住民」から庇う。しかし、「去って生きなくてはならない、さもないと死んでしまう(I must be gone and live or stay and die)」と感じたエリは、その夜アパートを引き払う。そして、数日後、オスカルがプールでコンニュ達に命の危険にさらされた時、同じ言葉を、「去って生きるべきだが、死んでもいいから留まろう」と解釈を変え、オスカルを助けに戻る。そして、2人は新たな人生に向けて、旅立つのだった。

『ぼくのエリ』の主役コーレ・ヘーデブラント(Kåre Hedebrant)は撮影時12歳(エリ役Lina Leanderssonの2ヶ月年上)、淡い金髪に色白の絵に描いたような北欧少年だ。この映画の演技で5つミネートされ、1つ受賞、1つ2位になっている。3年後に最後に出た映画『Amors baller』では、すっかり青年になり面影は全くない(下左の写真)。コディ・スミット=マクフィー(Kodi Smit-McPhee)は撮影時13歳、表情が乏しいのが特徴だ。この映画の演技で6つノミネートされ、1つ受賞している。4年後の映画『猿の惑星:新世紀』でも、顔の基本線は変わっていない(下右の写真)。


あらすじ

舞台は、ストックホルムの旧市街ガムラスタンの西11キロにある新興団地ブラッケベーリ(Blackeberg)。映画のロケもこの町で行われたので、Googleのストリートビューで町をぐるっとまわってみた。驚いたのは、森があちこちに残っていること、脇道は行き止まりになっていて、車での移動がかなり制限されていること、低層の集合住宅がかなり多いこと。一方、ロス・アラモスの方は、日本のニュータウンのように台地をすぱっと水平に切って何もなくしてから、アパートが整然と並んでいる。その団地の一角に住むのが12歳のオスカル。夜、パンツ1枚になって窓の外を見ていると(1枚目の写真)、自分のアパートの前に1台のタクシーが停まり、老人と少女が降りてくる(2枚目の写真)。タクシーが去って行くと、玄関の前にカバン数個と紙袋その他、2~3回で運べる程度の荷物が置かれている。非常に簡単な引っ越しだ。オスカルがベッドに横になると、壁の向こうから 老人と少女の話し声らしきものが聞こえてくる。このことから、オスカルの部屋の壁は相手の部屋に接していること、壁が結構薄いことがわかる。リメイク版の方では、①名前がオーウェン、②上半身裸、③望遠鏡であちこちの部屋を覗いている、④タクシーでなくトラックだが荷物は大きな箱つのみ、⑤オーウェンは、玄関のドアスコープから老人と娘を見ていて、娘が裸足であることに気がつく、という細かい点が違うだけで、基本的には同じ。原作では、「彼らが引っ越してきたのを見た者はひとりもいなかった」とのみ書かれている【小川 正訳『モールス』より。以下、同じ】。映像的には、到着を主人公が見ている方が「始まり」としては面白い。リメイク版は、オリジナル版を忠実に踏襲している。
翌日、学校に行ったオスカル。授業の一環として警官が来て話している。本題はドラッグなのだが、前座として、警察の捜査がいかに優れているかの査証として、「一軒の家が全焼し、中から遺体が一つ見つかった。我々は、殺人を隠蔽するための放火だと判断した。どうして分かったと思う?」と生徒たちに聞く。手を挙げたのはオスカルただ一人。「死体の肺に煙がなかったからです」。「その通り。今、それを考えついたのかい?」。虐めっ子のコンニュが振り返ってオスカルを見る(1枚目の写真・左)。「いいえ、僕、いろんな本を…」。途中で警官が遮り、「いったいどんな本を読むんだい?」と言って、皆を笑わせる。それから、本題のドラッグの話に入っていく。リメイク版では、授業の最初に 生徒全員が右手を左胸の上に置き、起立して「忠誠の誓い(The Pledge of Allegiance)」を暗誦する場面に変更されている。その終わりの方で、オーウェンは虐めっ子のケニーから何かをぶつけられる(1枚目の写真・右)。忠誠の誓いは、アメリカ色が出すぎていて好きになれない。原作では、警官が、「よし、これはなんだと思う?」と白い粉を見せるところから始まる。オスカルが、「ヘロインでしょ?」と言うと、「どうしてわかったのかな?」。「いろんなものを読むから」。問いかけの内容は違うが、その後の応対はほぼ同じ。麻薬では不適切だと思って変えたのだろうか? 実は、火事の話は、もっと後で、近所の不良トンミが、オスカルに、「婆さんの肺には煙がなかった。それがどういう意味かわかるか?」と質問し、オスカルが「息をしてなかったんだ」と答える場面がある。「何かで読んだことがある」。これを、授業の場面に転用したのだ。授業と授業の間、オスカルはさっそくコンニュに虐められる。「なに見てやがる? じろじろ見るな!」と因縁をつける。ロッカーに追い詰めると、オスカルの鼻を指で押して「ブーブー」と豚の真似をする(2枚目の写真・左)。オスカルは無抵抗なので、「何て、おとなしい子豚なんだ」と言って、指で鼻パチン。これで許してもらえた。リメイク版では、こんな簡単には済まない。体育(水泳)の授業中、女生徒をからかったケニーが罰を受けたのを見て うっかりニヤッとしてしまったオーウェン。それを見られてしまい、ロッカー・ルームで待ち伏せされ、顔を何度も殴られた後、3人がかりで床に押さえつけられ、パンツを思い切り引っ張られる。激痛に、「やめて!」と叫ぶオーウェン(2枚目の写真・右)。結局、失禁してしまい、軽蔑されて蹴飛ばされる。この映画のメイン・テーマはオスカルとエリだが、サブ・テーマはオスカルに対する深刻な虐め。それにしても、リメイク版は、最初から少し激しすぎるのでは? 原作では、トイレで個室に逃げ込んだオスカルが、自分で豚の鳴き声をブーブー、キーキーと必死でくり返し、許してもらう。スウェーデン版は、このエッセンスを短時間でまとめた感じだ。
学校からアパートに戻ったオスカルは、昨夜越してきた2人の部屋を見てみる。すると、2枚の窓は内側からダンボールで塞がれていた(1枚目の写真)。リメイク版でも、同じシーンがある。ただし、窓を見るのは学校に出かける前。原作では、このタイミングでの窓に対する言及はない。次のシーン。ホーカン(少女の連れの老人)がアパートで5リットル入りのポリタンクを洗っている。何度も使ったのか かなり汚れている。懐中電灯、漏斗、ナイフ、ハロタン(全身麻酔薬)をガス状にして吸入させるためのボンベをカバンに入れてアパートを出る。向かったのは、ストックホルムからさらに駅2つ遠いヴェリングビー。そこの森の小道で犠牲者の来るのをじっと待つ。やってきたのは青年。時間を訊くふりをしてハロタンのボンベを口に押し当て、昏睡させる(2枚目の写真・左)。森の中に運ぶと、両足を縛って枝から吊るし、頭の真下に漏斗を挿したポリタンクを置く。そして、ナイフで喉を切る。人間の血液量はティーンなら5リットル以下なので、5リットル入りのポリタンクならちょうど一杯になる程度だ。ところが、2人の女性が散歩に連れてきたプードルが、目の前にやってきて、追い払おうとしても動かない。いなくなった犬を呼ぶ女性の声に応えて犬が吠える。近付く女性。血はまだ1リットルくらいしか貯まっていない。ホーカンは、慌てて逃げたため、ポリタンクを置き忘れてしまう(3枚目の写真・左、矢印はポリタンク)。リメイク版では、オーウェンの隣に引っ越してきたのは、アビーとリチャード。リチャードは、スーパーの駐車場に現れる。そして、1人の男が乗った車が駐車する。リチャードは、車のリア・ドアをこじ開け、頭から大きな黒いポリ袋をすっぽりかぶった状態で、リアシートに横になって男の帰りをじっと待つ。男は、車に乗り込むと、リチャードに気付かずに車を出す。そして、踏み切りで停まっている時、後ろからリチャードが襲いかかる(2枚目の写真・右)。リチャードは車を運転して森に向かい、両足を縛って枝から吊るし、喉を切り、ポリタンクを血で一杯にする。しかし、ポリタンクを持って鞄に戻ろうとした時、雪に足を取られて転倒し(3枚目の写真・右、矢印はポリタンク)、まだ栓のしていなかったポリタンクの血は流れてなくなってしまう。状況は全く違うが、①森の中で逆さ吊りして血を取り、②失敗する点は同じだ。原作ではどうか? ホーカンは失敗などしない。成功裏に5リットル弱の血をエリの元に持ち帰っている。映画化にあたり、スウェーデン版では、なぜ失敗させたのか? それは、この時、血が手に入らなかったので、エリがたまりかねて住民を襲うというストーリーにしたかったからだ。そして、リメイク版でも、それをそのまま踏襲している。しかし、原作でも、エリは住民を襲っている。エリは、長期にわたり休眠状態に入り、その度に回復するために大量の血が必要となるのだが、そのような複雑な背景を説明するよりは、失敗させた方が遥かに分かり易い。これはスウェーデン版の脚色が優れている証しであるとともに、リメイク版が、原作ではなく映画を真似ている証しでもある。
オスカルは、暗くなってからアパートの中庭に出て行く。手にはナイフが握られている。そして、中庭に面して生えている森の木に向かって、「なに見てやがる? じろじろ見るな! 間抜け!」とコンニュに言われたことをくり返す。さらに、「どうした? 怖いのか?」と言うと、ナイフを幹に刺し、「豚の真似だ、キーキー鳴け!」と罵る(1枚目の写真)。コンニュに刃向かう勇気はないので、木に向かって腹いせをしている。寂しい姿だ。リメイク版では、前半の台詞はない。いきなり、「怖いのか? 弱虫」と言って、何度も突き刺す。原作は、スウェーデン版とほぼ同じ。オスカルは、背後の遊び場に人の気配を感じて振り返る。すると、ジャングルジムのてっぺんに小柄な子供が立っている(2枚目の写真・左)。髪の毛が長いので女の子だろう。低い声で、「何してるの?」と尋ねる。「別に… ここに住んでるのか?」。「ああ。ジャングルジムにね」。「マジで、どこに住んでる?」。少女は背後の窓を指差す。「君の隣だ」。「僕のウチ、何で知ってる?」。少女は飛び降りて近付いてくる。「言っておくと、友達にはなれないよ」。「何でさ?」。「理由なんているのかい? 定めなんだ」。アパートに入って行く少女に向かって、オスカルは「友だちになりたがってるなんて、何で思ったんだ?」と呼びかける。リメイク版では、少女の立っているのは、ジャングルジムの最下段(2枚目の写真・右)。「何してるの?」。「別に…」。ここまでは同じ。「君たち、越してきたんだろ、2階に?」。「なぜ知ってるの?」。「隣に住んでる。そこさ」と言って指差す。同じ質問だが、部屋の場所を指摘するのを少女から少年に変更。その後は「理由なんているのかい?」がないだけで、台詞は完全に同一。原作では、少女は、まず、オスカルがなぜ木にナイフを刺しているかを尋ねる。その後は、スウェーデン版とほぼ同じ。
少女がアパートに戻ると、そこには、血の採取に失敗したホーカンがいた。「これで助かるはずだったのに! 全部ボクにやらせる気なんだな!」。黙っているホーカン。「何とか言えよ!」。「許してくれ」(1枚目の写真)。リメイク版では、シーンの場所は、若干後になるが、やはり、失敗したリチャードが責められる。しかし、少女の台詞はない。代わりに、リチャードの弁解が続く。「不注意になったのか。捕まりたいのか。疲れてしまったのか」。少女は、荒々しくアパートを出て行く。原作では「成功」しているが、こんな会話が交わされる:「二度といやだ。なんといわれてもいやだ」。「でも… 死んじゃうよ」。「自分でやれるはずだぞ」。2度目の授業シーン。先生が、授業の前に、昨夜の惨劇について生徒たちに注意喚起している。「少年が殺された理由は不明です。皆さんも不安に思っているでしょう」(2枚目の写真)「今日は、終日カウンセラーが待機しています。必要な人は、相談に行って下さい。質問は?」。コンニュが、「そいつに偶然会ったら、殺してもいいですか?」と言い、生徒たちが笑う。リメイク版では、講堂に全校生徒が集められ、校長(?)が話している。「君達も聞いていると思うが、昨夜、ここの卒業生が殺害された。我々は、この悲劇の責任の所在を明らかにするため、あらゆる手を尽くしている」。ケニーたち3人グループが、何も聞かずに勝手にダベっている。「しかし、その間、不審人物には十分警戒して欲しい」。虐めっ子の態度が正反対だ。原作では、特に言及はない。
帰宅したオスカルに、母は注意する。「これからは、学校が終ったら真っ直ぐ帰宅すること。私が帰宅するまで、中庭から出ないこと」。「事件は ヴェリングビーじゃない」。「子供を殺すような人間なら、地下鉄で2駅くらい来るかもしれないでしょ」。オスカルは、その日の新聞を持って自室に行くと、スクラップブックに記事の切抜きを貼る。彼は、殺人事件に興味があるのだ。これは、いつも虐められていることに対する、一種の自助行為で、ナイフで木を刺すのと似ている。夕方になり、オスカルは昨日の少女に会えるのではと期待し、ルービックキューブ持参で中庭に出て行く。オスカルが1人でキューブで遊んでいると、背後のジャングルジムに少女が座る(1枚目の写真)。そして、「また 来たんだ…」と声をかける。「君こそ、また来た」(1枚目の写真)。「一人になりたかったのに」。「僕もさ」。「帰れば?」。「君が帰れよ。僕の方がここに長く住んでるんだ」。少女は、ルービックキューブに興味を持つ。「それ何?」。「これか? ルービックキューブだ」。「パズルの一種?」。「うん。やってみる? 明日返してくれればいい」。「明日は来ないかも」。「なら、あさってでもいい。さあ、ほら」。キューブを手にした少女。何をしたらいいか分からないので、オスカルに教えてもらう。少女がやっていると、オスカルは、「変な臭いだね」と訊く。そして、「寒くないの?」とも(2枚目の写真)。「ううん」。「どうして?」。「寒さを、忘れたんだと思うな」。「じゃあ、また明日ね」。リメイク版では、母の注意もスクラップブックもなく、講堂のシーンの直後、オーウェンが中庭でルービックキューブを回している。少女が座ると、オーウェンが先に、「また 来たんだね」と言う。「どうしても一人になりたかった」。「僕もだ」。この後は、「これか? ルービックキューブだ」までは同じ。その次に、「ルービックキューブ、知らないの?」が入るが、その後はまた同じ。「変な臭いだね」も同じ。「寒くないの?」の返事は、「ぜんぜん寒くない」に変わっている。そして別れの言葉。このシーンは、微妙な違いはあるが、両者はほぼ同じと言ってよい。原作では、母の注意とスクラップブックは同じ。中庭のシーンは、ルービックキューブまでは同じ。ただ、「この奇妙なにおいは、きみの?」と「寒くないの?」は、1回目の出会いの時にもう訊いている。2回目では、会話ではないが、「お風呂に入ったことがないのか」「オスカルはうっかり鼻から息を吸い込み、こみあげてきた吐き気を抑えなくてはならなかった」と書かれている。
夜遅く、近くに住むヨッケが道路下のアンダーパスにさしかかると、「助けて」という声が聞こえる。ヨッケがよく目をこらすと、壁際に小さな影が見える。「お願い、助けて」。「具合が悪いのかい?」「大丈夫か?」と声をかける。そして、近付いていき、「立てるかい?」と訊く。「ダメ」。「そうか。電話のある所まで運んであげよう」(1枚目の写真)。ヨッケが背負うと、子供はヨッケの喉に噛み付く。苦しんでもがくヨッケ(2枚目の写真、黄色の枠は子供)。クローズアップされると、それは例の少女だった。ヨッケは 血を吸い取られて地面に昏倒する。少女の着ている白いシャツは血で真っ赤だ。少女は、最後にヨッケの首をねじって神経を切断する。次の場面はアパートで、ホーカンが少女を叱っている様子が映される。台詞は聞こえない。隣の窓にはオスカルがいる。次に、オスカルの顔がクローズアップされる。壁に耳を付けて、何があったのだろうと心配するが、声がくぐもっていて内容は分からない(3枚目の写真)。リメイク版でも、アンダーパスの形は違うが内容は一致している。ただ、最後に首をねじる場所は、アンダーパスの中。オーウェンが壁に耳をあてるシーンは、撮影の角度が違っている。そして、「後片付けしなくちゃならん! くそ! 何て奴だ!」と台詞が入っている。原作でも同じだが、別の箇所にもう少し詳しい説明があり、それが映画とは違っている。「頭が三百六十度まわされたからだ。背骨を折るために」と、書かれている。そして、その理由として、「感染を防ぐためだ。それが神経組織に達することは許せない。その前に感染路を断つしかない」、とも。最後の「叱られる」部分で、聴き取れたのは、「信じられないほど残酷だ」という言葉のみ。
ホーカンは、さっそく死体の処理に出かける。死体を回収し、小さな橇に載せてロープで引っ張る。老人にはきつい仕事だ。排水管の上を通り(1枚目の写真)、その先のドブ川に死体を落とすと、近くに刺さっていた赤いプラスチック棒を使って 死体を氷結した部分の下に押しやる(2枚目の写真)。リメイク版でも、同じだが(排水管まで同じ)、橇は使っていないように見える。死体を押すのに使ったのは、危険防止の柵に使われていたステンレス棒。原作での大きな違いは、大きな石を2つ死体の足に縛り付けて沈めたこと。排水管については、「湖に流れ込む排水路」という表現がある。「川」に投棄したはずなのに、死体が湖の岸辺で発見されるのは、このためだ。リメイク版が、死体を棒で押しているということは、原作ではなく、スウェーデン版を参考にしている証拠の1つ。
翌朝、オスカルが中庭のジャングルジムに見に行くと、ルービックキューブが完成された状態で置いてある。手に取り(1枚目の写真)、調べてみて、少女の部屋を見上げて、凄いなと感心して微笑むオスカル(2枚目の写真)。リメイク版は、最初にルービックキューブの上に山状に雪が積もっているところまでそっくり。原作には、このシーンはない。これも、リメイク版が、スウェーデン版を踏襲している証拠。
夕方、少女が、ジャングルジムのてっぺんに座っていると、そこにオスカルが駆け寄る。そして、キューブを見せながら、「これ、どうやったの?」と訊く(1枚目の写真)。少女は、1番下の段まで降りてきて、オスカルと並んで座る。「回しただけ」。そして、「臭い、よくなった?」。「君、何て名前?」(2枚目の写真)。「エリ」。「君は?」。「オスカルだよ」。「いくつなの?」。「12… だいたい」。「君は?」。「12歳8ヶ月9日だ。『だいたい』って、何だよ? 誕生日はいつ?」。「知らない」。「誕生日、お祝いしないの?」(3枚目の写真)「じゃあ、誕生日プレゼント、もらったことないんだね?」。「ない」。「これ、あげるよ。欲しけりゃ」とキューブを差し出す。「君のでしょ」。その後、キューブのコツをエリが教える。オスカルが見ているのは、キューブではなくエリだ。リメイク版では、①夕方でなく夜、②アビーが座っているのが上から2段目で、移動はしない。これ以外は、すべての台詞がほぼ一致している。ただ、アングルに変化が乏しく、例えば2枚目と3枚目の写真にほとんど違いがない。原作では、ジャングルジムで会ってまず、エリが「今日のにおいのほうがまし?」と訊く。そのあと、「貸してくれてありがとう」と言って完成したキューブを渡す。その後もキューブについての会話が続き、オスカルが「いくつなの?」と訊く。「いくつだと思う?」「十四歳か十五歳」。「そう見える?」。「うん。そうか―いや、でも…」。「ほんとは十二歳」。「十二歳! 何月生まれ?」。「知らない」。「知らないの? でも…誕生日はいつお祝いするんだい?」。「そんなのしないもの」…(省略)…「それじゃ…プレゼントとか、ひとつももらわない、ってこと?」。「プレゼントなんかもらったことないよ。一度も」…(省略)…「これが欲しい? あげるよ」。「いらない。きみのだもの」。「きみの…名前は?」。「エリ」。「ぼくはオスカルだ」。会話の順序は異なり、かなり省略されているが、スウェーデン版では、それを手際よく並べ替えて、内容を変えずにコンパクト化している。そして、リメイク版では、それをそのまま踏襲している。
学校の授業では、トールキンの『ホビット/ゆきてかえりし物語』の第5章 「暗闇の謎なぞ合戦」の最後の部分を教師が読んでいる。途中は省略するが、「…ビルボはついに逃げおおせたのです」で章は終わり、それと同時に授業そのものも終わる。生徒たちは席を立って出て行くが、一人だけ席に残って、黙々と何かを書き写している生徒がいる(1枚目の写真、矢印は本)。オスカルだ。コンニュは、それを横目に出て行く。オスカルが紙に写していたのは、モールス符号。因みにアルファベットに対応した符号は26種だが、デンマーク語では、ÄÖÜÅに相当する4符号が追加されている。オスカルが雪の舞う中を学校から出ていくと、コンニュが立って待っていた。「お前、何 書いてたんだ?」。「何のこと?」。「見せるんだ」。後ろから仲間2人が近付き、オスカルは前後を挟まれる。「いやだ」。「何だと! さっさと渡せ」。仲間の1人が後ろからオスカルを羽交い絞めにする。もう一人が、細く しなる棒を持って近付くと、オスカルの脚を何度も叩く。みみずばれが出きるような叩き方だ。10回以上叩かれて拘束を解かれてもオスカルは黙ったままでいる。羽交い絞めしていた仲間は、奪った棒でオスカルの頬を叩き、たちまち傷がつく(2枚目の写真)。それでもオスカルは何も言わない。「くそ、こいつのママに何て言いワケする気だ?」と言って3人は逃げ去る。オスカルは、もちろん、母に告げ口なんかしない。「岩につまづいたんだ」と嘘をつく。傷を見れば分かるのに、母は「注意して歩きなさい」などとしか言わない。典型的な「虐められっ子と、兆候を見逃す母」のパターンだ。リメイク版では、授業中、1968年の映画『ロメオとジュリエット』を鑑賞している。場面は、第三幕 第五場で、後になって、アビーがオーウエンに渡すメモに使われるロメオの台詞の部分〔観客への情報提供以外の何物でもない〕。オーウェンがモールス符号の本を読んでいる。そして、それをケニーがじっと見ている。授業が終わり、オーウェンがトイレの個室で小用を足していると、ドアがドンドンと叩かれる。外に出ると、ケニーと2人の仲間がいた。「さっきは、何を書いてた?」。「何のこと?」。「クックの授業中だ。見せろ」。「いやだ」。「いやだと?」。ケニーは金属の細い棒を見せる。「どこにある?」。ケニーは棒で脚を叩き、「どこだ?」と訊く。叩き、「見せろ」。そして、次は頬。傷がつくが、金属棒で思い切り叩いた割には傷が小さい。仲間は、「まずいぞ。こいつのママにどう説明する」と止める。ケニーはオーウェンの髪のをつかむと、「彼はママになんか言わない。だろ? 彼は運動場で転んだんだ。いいな?!」と凄みをきかす。家に帰ったオーウェンは、母に、「運動場で転んだんだ」と話す。①暴力を振るうのはケニー1人、②口止めを迫る、の2点が違っている。原作では、授業内容への言及はない。授業後に1人残ってモールス符号を写すのはスウェーデン版と同じ。3人による制裁の場所は砂場。オスカルを叩くのはヨンニ(映画のコンニュのこと)。手に持っているのはハシバミの枝。叩く理由は、モールス符号とは何の関係もなく、単なるおしおき。ミッケがオスカルを羽交い絞めにして、ヨンニが脚を何度も叩き、オスカルはあまりの痛さに泣き出す。おしおきは十分と判断したヨンニがやめると、もう1人のトーマスが頬を枝で叩く。ヨンニは、「こいつの母さんが、おまえんとこに怒鳴りこむぞ」と言って立ち去る。オスカルが長い間地面に倒れていて、トイレの鏡で見てみると、「頬は腫れあがり、半分固まった血で覆われている」と書いてあるので、かなり目立つ傷だ。オスカルは、ジャングルジムから落ちたことにする。三者三様だが、①モールス符号を書き写した、②虐めグループから頬に傷を付けられた、という本質的な2点では変わらない。モールス符号は、エリとの壁越しの連絡に必要だし、頬の傷は、その後の、エリのアドバイスと、それを受けてのオスカルの復讐に欠かせない。
夕食後、中庭に出て行ったオスカルは、エリにモール符号の叩き方を教える。そして、書き写した紙を渡す。エリは、オスカルの頬を見て、「どうしたの?」と尋ねる(1枚目の写真)。オスカルは、しばらく黙っていて、「クラスの奴らが…」と言っただけで話題を変える。「君、どこの学校に行ってるの?」。この質問はエリにも都合が悪いので、話を元に戻す。「オスカル、聞いて… やり返すんだ。反撃してないよね… 一度も? やるんだ。反撃する。強く」。「相手は3人だ」。「やり返すんだ。思い切りね。そしたら、そいつらも やめる」。「やめなかったら?」。「なら、手伝うよ。任せて」。リメイク版では、オーウェンが、「さあ、いいかい、これ作ったんだ。1枚は君用、1枚は僕用だ」と言って、モール符号の紙を渡す。「クールだろ。これで 壁越しに話せる」。「壁から声が聞こえるの?」。アビーは 怒鳴り声がオーウェンに聞こえているとは思わなかったのだ。オーウェンは「時々だよ」と安心させる。「この前の夜は、何か聞こえた?」。「なぜパパは あんなに怒ったの?」。答えがないので、オーウェンは、さらに「ママはどこ? 離婚したの?」と訊く。「ママは死んだ」。「僕のママとパパは離婚するんだ」。アビーは、「それ、どうしたの?」と頬の絆創膏を指す。バンドエイドと書かなかったのは、両方とも他社製品のため。スウェーデンの方は貼っているのが分からないような製品、アメリカの方が逆に非常に目立つオシャレな製品だ。「学校の奴らがね」。そして、話題を変え、「君、学校行ってるの? 見かけないけど」。「オーウェン、聞いて」。「何?」。「やり返さないと。やられたより もっと」。「できないよ。相手は3人だ」。「なら、もっと強く反撃するの。思い切ってやり返す。そしたら、そいつらも やめる」。「やり返されたら?」。「ナイフがある」。「それでも、止められなかったら?」。「手伝うよ」。「でも、君は女の子だ」。「君が考えてるより、ずっと強いの」。内容が若干変わっているが、会話内容の構成は変わっていない。原作では、傷とモールスの順序が逆転している。エリは会うとすぐ、「どうしたの、そのほっぺた」と訊く。「あの…転んだんだ」。「誰かがやったんだ。そうでしょ」。「うん」。その後のアドバイスは、基本的に同じだが、「武器を使って。石でも、棒でも」と言うセリフが、「ナイフがあるでしょ」の前に入り、少し過激になっている。その後で、モールス信号の話になる。オスカルは、モールスを試そうと、エリを部屋に行かせる。エリは、オスカルの部屋の壁の隣で雑誌を読んでいたホーカンを、つっけんどんな言い方で立ち退かせる(2枚目の写真)。そして、おもむろに壁を叩き始める。それを聞いているホーカンの顔は複雑だ。これまで自分がエリを庇護し、助けてきたのに、ライバルが現れ、エリの関心もそちらに移って行きつつあるからだ。リメイク版では、リチャードの苛立ちは描写されない。原作では、モールスの試し打ちはない。代わりに、ホーカンの心情が描かれる。「取り替えがきくんだ」「オスカルと話すようになってから、エリの何かが変わりはじめた」。映画の次のシーンは、体育の授業の終了後、オスカルが教師の部屋に行き、「放課後のウェートリフティングの講習… 申し込めますか?」と尋ねる(3枚目の写真)。教師は「申し込まなくたって、7時に来ればいい」と言ってくれる。やりかえすためには、強くならないと、と思ったのだ。リメイク版では、ウェートリフティングが筋トレ、7時が4時になっている。原作では、プールで行う強化訓練、時間は7時。
オスカルは、エリにあげようと キオスクでキャンディーを買うが、エリに断られる。がっかりしたオスカルを見たエリは、悪いと思い、1つ食べてみる(1枚目の写真)。しかし、すぐ次のシーンでは、店の裏でエリが吐いている。それに気付いたオスカルは、心配して近寄っていく(2枚目の写真・左)。エリは、オスカルに、もらったものを吐いたので、「ごめん」と言う。オスカルは、そんなエリを見て 思わず抱きしめる。「オスカル? 好きなの?」。「うん、すごく」。「もし、女の子でなかったら… それでも好き?」(3枚目の写真)。「そう思うよ… どういうこと?」。オスカルには、エリの質問の意味が全然理解できていない。それでも、ここは、エリが真実を打ち明ける重要な場面だ。リメイク版では、小さなゲームセンターでオーウェンの遊ぶのをアビーも見て笑うシーンがあった後で、キャンディーを買おうとする。オーウェンが美味しいと勧めるが、アビーは2度断った後で、「1つなら食べられるかも」と言って、口にする。そして、「気に入った」というが、次のシーンでは、店の前に停めてある車の陰で吐いている(2枚目の写真・右)。それを、後から出てきたオーウェンが心配そうに見ている。ここまでは、会話や場所が若干違っている程度。その後の打ち明け部分は、台詞のほとんどは同一。原作では、キャンディーを断る時、「食べられないの」とはっきり断る。「ひとつも?」。「うん」。「かわいそう」。「そうでもないよ。どういう味か知らないもん」。「「ひとつも食べたことないの?」。「うん」。「だったら、どうしてわかるのさ」と、エリらしい話し方が続く。そして、結局、キャンディーは食べない。だから、吐くこともない。ここでも、リメイク版は、原作でなくスウェーデン版を踏襲している。原作では、オスカルがエリを初めて抱きしめるには、エリの体調とか、頼りなげなところとか、いろいろな理由がある。そうしたものは映像化しにくいので、スウェーデン版では、「吐く」という分かりやすい表現を採用したのであろう。打ち明け部分は、原作も映画も同じ。
その夜、エリの部屋では、ホーカンが血液採取に出かける用意をしている。ホーカンは、前回には持っていかなかったものを手にしている。淡い黄色の液体の入ったジャムの瓶だ。ホーカンは、エリに、「私の顔が分かると、君がここにいることがばれてしまう」と説明する。「そんなのだめだよ」。「他にいい手があるか?」。そう言うと、ホーカンは、「ひとつ頼みがある。今夜は、あの少年と会わないでくれないか?」(1枚目の写真)と訊く。エリは、ホーカンの頬をそっと撫でながら、小さく「うん」と言う。リメイク版では、透明の液体がポリ容器に入っている。アビーが、「出かけるの?」と訊くと、リチャードは不機嫌そうに、「他に途が?」と訊く。アビーが、申し訳なさそうに、リチャードの頬を触る。その手を上から押えながら、リチャードが「あの少年には、もう会わないで欲しい」と言う(スウェーデン版と違い、今夜だけではなく永遠にだ)。そして、アビーは「うん」とは言わない。黙ったままだ。リメイク版の方が、老人の「しぶしぶ」感が強い。原作では、出掛ける前の挿話が強烈だ。「きみのためにやるよ。だが、そのお返しがほしい」。「何がほしいの?」。「ひと晩だけ。わたしの望むのはそれだけだ」「一緒に横になって、触らせてくれるかい?」。次に、顔のことを持ち出すのは、ホーカンではエリだ。「もしも誰かが…新聞に載った似顔絵で…」「あんたがここに住んでることを、知ってる人々がいる」。「わたしもそれは考えた」。「どうするの?」。そして、ホーカンはジャムの容器に入った液体を見せて目的を説明する。エリは、「そんなのだめだよ」と反対する。「いざとなったらやれる。これで分かったかい? わたしがどれくらい…きみのことを思っているか」。後半はスウェーデン版とよく似ている。オスカルとの遊びを止める言葉はない。ホーカンの向かった先は、高校の体育館のような所。バスケの練習が終わるのを、窓から見ながら じっと待っている。1人だけロッカールームに残っていた生徒を逆さ吊りにして喉を切ろうとすると、照明が消される。そして、この生徒が出てくるのを建物の外で待っていた2人の生徒が、様子を見に戻ってくる。ホーカンがドアに懐中電灯を固定しようとしていると、そこに2人がやってきて、「おい、マッテ!」と声をかけて、ガラスを叩く(2枚目の写真・左)。生徒も、麻酔が覚め、「助けて!!」と叫び始める。もう、こうなれば、残された途は一つしかない。ホーカンは部屋の隅に行って床に座り込むと、「エリ」と言って、顔に液体をかける(3枚目の写真、矢印は瓶)。リメイク版では、手口は1回目と同じ。車から降りたのが男性1人であることを確かめ、車の後部座席に隠れて待つ。ところが、車が動き始めると、「おい、ジェット!」と 男が手を振って車を停め、乗せてくれと頼む。2人目の男は助手席に乗り込むが(バッグを後部座席に投げ込む)、その段階では気付かれない。車は給油のためGSに寄る。助手席に1人残った男は、ライターを取ろうと後部座席に目をやり、黒覆面のリチャードに気付く。リチャードは男の首を絞めて気絶させ、運転席に移動してエンジンをかけ、急発進(バック)させる(GSの構造上、前には進めない)。男に走って追いかけられ、ずっとバックで進むのは辛い(2枚目の写真・右、フロント・グラスの汚れは、男が投げつけた飲物)。バックで道路に出た途端に、前から来た車に衝突しそうになり、回避しようとして崖から転落。リチャードは大破した車から出ることができなくなったので、覚悟を決め、「アビー」と言って、液体を顔にかける。原作の犯行現場はプールの個室の更衣室。そこにハロタンで昏睡状態にした少年を連れ込むが、個室の外で着替え始めた連中が長話しを始めたため、麻酔が覚めてしまう。少年は悲鳴をあげ、それを聞いた連中がドアを開けようとする中で、ホーカンは「エリ」と叫びながら塩酸を顔にかける。場所の設定はスウェーデン版に近い。
ホーカンは、その夜帰ってこなかった。翌日、エリが横になってラジオを聞いていると、「ヴェリングビーの殺人事件の犯人として、昨夜、身元不明の男が逮捕されました。男は顔を自傷していて識別ができません」というニュースが流れる。それを聞いたエリは、夜になって、町で唯一の病院を訪れる。エリは玄関から入り、正面の夜間受付けに向かう。足はいつものように裸足のままだ(1枚目の写真、矢印)。「済みません。パパを捜してるんです」。「ここに入院してるの?」。エリは頷く。「名前は?」。「病気で、警察がここに。部屋、分かります?」。「7階よ。だけど立ち入りが制限されているから、訊いてみるわね」。エリは、何階か分かったので、「もう いいんです」と言って出て行く。エリの裸足に気付いた看護婦は、同情して追うが、玄関から出てみると 少女の姿はどこにもなかった(2枚目の写真、矢印は壁を登るエリ)。リメイク版では、ニュースを聞くのはその日の夜。「地元高校の優等生が犠牲になった最近の儀式殺人に関与したとして、身元不明の男性が逮捕されました。容疑者は、自らかけた強い酸で顔と胴体が焼けただれ、識別不可能な状態で病院に搬送されました」。アビーはすぐに市最大の病院を訪れる。夜間受付での会話内容は、ほぼ同じだが、場所は10階。裸足に同情して看護婦が外に出るところも同じ。原作では、日付が大幅に違っている。ホーカンが失敗して自傷するのは10月29日。翌、30日に、エリはブラッケベーリの東の住宅団地エングビー(Ängby)に住む女性の家に電話を借りたいと侵入。血を吸い、放火して女性を焼き殺す(ヴァンパイアになるのを防ぐため)。その後、映画ではもっと先の、①オスカルの部屋への訪問、②コンニュに対する自衛暴行、③ヴァージニア襲撃を経て、11月7日の夜、ようやく病院を訪れる。病院での言動は映画とほぼ同じ。階数は最上階。
ホーカンの病室まで壁を登って行ったエリは、窓ガラスをトントンと叩く。それに気付いたホーカンは、何とか立ち上がり、キャスター付き点滴棒にすがって窓に近付く。「入っていい?」(1枚目の写真)。ホーカンは、身振りで 口がきけないことを示す。そして、窓を開けると、エリをじっと見て(片目は見える)、喉に付けられた人工呼吸器の管を外し、首を差し出す。エリは首に噛み付いて血を吸うと、力尽きたホーカンはそのまま下に落ちていった(2枚目の写真)。リメイク版も、ほぼ同じ。唯一の違いは、管を付けていない代わりに、別れの時間が少し長いこと。原作では、エリは中に入るつもりはないので、「入っていい?」とは訊かない。代わりに、ホーカンの手にキスして「こんばんは、友よ」と囁く。この方が、自然だろう。そして、エリは、「どうしてほしいの?」と尋ね、ホーカンが喉を指すと、「でも、そのあとで、あんたを殺さなきゃならない」と警告するが、ホーカンが再度指差す。そして、ホーカンは自分から飛び降りる。ここからが、原作と映画では根本的に異なる。映画では、どちらの版も、飛び降りてそれで終わるが、原作では、ヴァンパイアは首をねじ切るか、焼かれない限り死なない。そのため、10階から落ちたホーカンの残余物は、そのまま生き続け、ホーカンとしての個性を失い、よくある「ゾンビ」のように、人を、そして、最後にはエリを襲おうとする。その部分の描写に、かなりのページが割かれている。映画化にあたり、こうした設定をすべて排除した脚本は(手がけたのは、原作者本人)、的確な判断だったと思う。リメイク版も、ここでも、原作ではなく スウェーデン版に倣っている。
エリは、そのままアパートに戻り、オスカルの部屋の窓を叩く。「入っていい?」(1枚目の写真)「入っていい、って言って」とくり返す。「入っていいよ」。中に入ったエリは、「目を閉じて」と言って着ているものを脱ぐと、オスカルのベッドに入り込む。窓にはベランダも何もないので、オスカルは「どうやって入ったの?」の訊く。「飛んできた」。オスカルは寝起きで、半分寝ている。だから、「そうだよね」と奇妙な返事をそのまま受け入れる。逆に、エリの体が冷たい方が気になる。「何も着てないじゃないか」(2枚目の写真)「氷みたいに冷たい」。「ごめん。気持ち悪い?」。「ううん」。エリは、オスカルの背中に向かって横になっているので、指で背中を触って、「何本指が触ったか?」と訊く。エリは遊びのつもりでやったのだが、オスカルの気持ちは複雑だ。生まれて初めてできた大好きな女の子が、自分のベッドに全裸で入ってきて、背中を指でつついたのだ。興奮しないはずがない。オスカルは 「僕のステディにならない?」と訊く。「どういう意味?」。「その… 僕のガールフレンドにならない?」。「女の子じゃない」。「ステディになるの、ならないの?」。「今まで通りじゃだめなの?」。「いいけど…」。「ステディだと、特別なことするの?」。「別に」。「今と同じ?」。「うん」。「なら、ステディでいい」(3枚目の写真)。「ほんと? よかった」。リメイク版では、アビーがオーウェンの部屋の窓を開けてから、名前を呼び、「入っていい?」と訊く。この時、アビーの指は中に入っている〔ヴァンパイアには無知なのでよく分からないが、これは、許されるのだろうか?〕。台詞のほとんどは同じだが、「女の子じゃない」と言った後、オーウェンは「じゃあ、何なの?」と訊き返し、「何でもない」とアビーが答える部分が追加されている。それ以後は、ほぼ同じ。原作では、状況が詳しく書かれている。「冷たい手がオスカルのお腹の上を胸へと這ってきて、心臓の上に置かれた。オスカルは自分の両手をそれに重ね、エリの手を温めた。エリのもうひとつの手がオスカルのわきの下に入りこみ、そこから胸へと上がって、彼の手のあいだにおさまる。エリは横を向き、オスカルの肩甲骨のあいだに頬をあずけた」。エリは、「寂しくて。だから来たの」と理由を述べる。「うん、でも…服を着てないよ」。「ごめん。いや?」。「ううん、でも、凍えないの?」。最後の台詞が違う。2つの映画とも、オスカルが冷たいと文句を言っているが、原作ではエリを気づかっている。この方が順当だろう。あと、指で背中を歩かせて数えさせるのは、最初、オスカルがやってエリがそれを真似する。しかも、それをくり返し、一種の遊びとなる。この部分は、映画の方がいい。最後のステディの部分。「何でもない」の後、その意味を訊かれ、「子供でもないし、大人でもない。男の子でもないし、女の子でもない」と詳しく説明する。その後は、映画と同じ。翌朝、オスカルが起きるとエリはいない。オスカルは窓から顔を出し、エリは一体どうやって来たんだろうと不思議そうに見まわす。昨夜のエリは幻だったのだろうか? ところが、机の上に、エリが残していったメモが置いてある。そこには、「ATT FLY ÄR LIVET ATT DRÖJA DÖDEN ♡ DIN ELI (去って生きるか、留まって死ぬか ♡ 君のエリ)」と書いてあった。リメイク版でも、メモの内容は同じ。「I must be gone and live or stay and die. ♡ Abbey + Owen (去って生きるか、留まって死ぬか)」。アビーとオーウェンはハートで囲んである。原作でも、この時ではなく、2つ目のメモではあるが、同じ内容のものが渡される。ところで、この文章は、先に述べた 『ロメオとジュリエット』の第三幕第五場の有名な台詞だが、翻訳でも解釈が二通りに分かれている。①「去って生きるべきだが、死んでもいいから留まろう」と、②「去って生きなくてはならない、さもないと死んでしまう」だ。果たして、エリは、①と②のどちらのつもで書いたのだろうか?
体育の授業で、クラス全員が、近くの湖にやってきた。湖は完全に氷結し、スケートが楽しめる。オスカルが嬉しそうにしていると、コンニュが寄ってきて、肩に手を置き、「水泳はどうだ?」と声をかける。氷に開いた穴につき落とされるに違いないと 恐怖に慄いたオスカルは、排水管の近くで赤い棒を拾う。かつて、ホーカンが死体を氷の下に押しやるのに使った棒だ。いい護身具になると思い、手に持っていると、そこにコンニュが2人の仲間を従えてやってくる。「で、泳ぎたいか?」。「ノー」。「その棒は何だ?」。「何かしようとしたら、これで お前を叩く」。「勇敢な豚に変身したのか?」。コンニュは、さらに、「お前を押し倒してやる。そんなものが使えないようにな」と言って、オスカルに近付いていく。オスカルは棒を振るうと、コンニュの耳を強打(2枚目の写真)。コンニュは、その場に座り込み、痛さに叫ぶ。いつも虐めているくせに、いざ自分がやられると実にオーバーだ。傷は結構重傷だが、同情の余地はない。その時、小さな生徒達から一斉に悲鳴が上がる。氷の中に死体があるのを見つけたのだ。ホーカンが川に投棄した エリの犠牲者だ。通報を受けた警察が重機とともに駆けつけ、死体ごと氷を切り出す(3枚目の写真)。リメイク版では、ケニーが、「泳ぎ方は覚えてるだろうな。今日はやってもらうぞ」と脅す。オーウェンが排水管の脇で見つけたのは ステンレス棒。こちらの方が強力だ。ケニーは、「それで何する気だ?」。「何かしようとしたら、これで お前を叩く」。「ホントか? お前には、何もできやしない。弱虫だから、そこに立ってるだけだ。その棒を奪ったら、お前のケツに打ち込んでやる。その格好で、泳げ」。オーウェンは、棒を取ろうとするケニーの耳を強打する。こっちも、オーバーに叫び始める。その直後の死体発見は同じ。全景かクローズアップかの違い。原作での最初の脅し文句は、「風呂に入るんだ。糞みたいに臭いからな。洗う必要がある」。オスカルが手にするのは「安全のため、来る途中で見つけて持ってきた大きな枝」。ヨンニは、「それをおけ。さもないと殺すぞ」。死体発見の記述はあるが、切り出す場面はない。
オスカルは、母から叱られたが、意気軒昂だ。夕方、エリを 大きな子たちが隠れ家に使っている部屋に連れて行く。そこで、オスカルは昼間の「反撃」のことを自慢げに話し、エリから褒められる。エリは、部屋に置いてあったテープレコーダのボタンを押して音楽を再生し、ムードにひたっている。オスカルは、エリの方をそっと見ながら、ナイフを取り出す。エリに、「今から 何するの?」と訊かれ(1枚目の写真)、オスカルは、エリに内緒でナイフを手で握ると、思い切って引き抜く。手の平が切れて血が出る。オスカルは、笑顔で、その手をエリに見せる(2枚目の写真)。そして、「血を交わそう。痛くないよ。指をちょっと突くだけだ」と言う。オスカルの手から滴る血が床に落ちる。しばらく血を飲んでいないエリは、我慢できなくなり、床に這いつくばって血を舐める。あまりのことに度を失ったオスカルが、「エリ?」と声をかけると、顔を上げたエリは、「行って! どこかに!」と叫び(3枚目の写真・左、矢印は床に落ちた血)、オスカルが動かないのを見ると、自分から立ち去る。リメイク版では、オーウェンは母と一緒に学校に呼び出されて厳重注意を受ける。オーウェンがアビーと話すのは、翌日の夜。自慢話をした後、アビーは褒める代わりにキスをする。それに喜んだオーウェンはアビーを隠れ家に連れて行く。そこで、アビーが音楽をかけるのも同じ。アビーがオーウェンに「今から 何するの?」と訊くと、オーウェンは、「いい考えが。目を閉じてて」と言う。切るのは手の平ではなく親指。その後の展開はほぼ同じだが、アビーの顔は特殊メークになる(3枚目の写真・右)。原作では、血を舐める前に、「オスカル…だめだよ。感染しちゃう」と言った後、「突然エリの目に何かがとびこんできて、オスカルが知っている少女とはまったく違うものに変えた」と書かれている。これを受けて、リメイク版では特殊メークにしたのかもしれない。エリの言葉は、「行って! さもないと死ぬよ!」と一段と強くなっている。
隠れ家から走り去ったエリは、血に飢えたままなので、歩道に植えられた1本の木に登って犠牲者が現れるのを待つ(1枚目の写真・左)。これまで意図的に省略してきたが、スウェーデン版では、原作を反映して、団地に住むパッとしない住民たちの姿も断片的に描いている(リメイク版では、ほぼゼロ)。ここでもヴァージニアがラッケと喧嘩してモルガンの家を出るまでのシーンがあり、その後、ヴァージニアはエリが待ち伏せしている木の下を通る。エリがヴァージニアに向かって飛び降りる(2枚目の写真・左、黄色の矢印がエリ、赤の矢印がヴァージニア)。しかし、エリには十分な時間は与えられなかった。仲直りしようと後をつけてきたラッケが救援に駆けつけ、エリを蹴っ飛ばしたからだ。しかし、ヴァージニアが血を吸われたことには変わりなく、彼女は後で、ヴァンパイアになってしまう。リメイク版でも、アビーは同じように木に登る(1枚目の写真・右、遠景なので矢印でアビーを示した)。そこにやってくるヴァージニア。アビーは飛びかかる(2枚目の写真・右、真上からの撮影)。こちらの男性はアビーを追い払った後、追いかけ、アビーは塀を飛び越えて逃げる。原作では、女性の名前がヴィルギニア。ラッケとの距離は50メートルと一番離れている(リメイク版は10メートル以下)。後は同じ(ラッケはエリを追わない)。
映画は、エリに噛まれたヴァージニアの翌日の苦難を象徴的に描く。光を浴びると肌が燃えるように痛むのだ。そして、父の家に行ったオスカルが、父のつれない態度と、前にもらったエリのメモに触発されて、夜中だというのにヒッチハイクでアパートに戻るシーンも挿入される。その後、ヴァージニアが猫に襲われて、病院に入院させられる場面もある。アパートに戻ったオスカルは、エリの部屋のドアを、モールス信号で叩く。エリは、「オスカルなの?」と訊く。「そうだよ」。ドアが開けられる(1枚目の写真・左)。玄関に入ったオスカルは、変な臭いに顔をしかめる。玄関から中の部屋に入ろうとすると、一足先に中に入ったエリがガラスのはまったドアを閉める。ガラス越しにお互いの顔が見える。オスカルは、「君、ヴァンパイアなの?」と尋ねる(2枚目の写真)。「血で生きてるから、そうね」。「君は… 死んでるの?」。「ううん」。そして、「分からないの?」と逆に訊く。「何歳なの?」。「12歳。だけど、ずっと12歳なの」(3枚目の写真)。ここで、ようやくエリはドアを開け、オスカルを中に入れる。リメイク版では、オーウェンは父に電話をかけて、「邪悪なものって、存在すると思う?」「人は邪悪になれる?」と質問するが、あまりに奇妙な話題なので相手にされない。その後、アビーのアパートの呼び鈴を鳴らす。アビーはすぐにドアを開ける。オーウェンは、「入っていい?」と訊く(1枚目の写真・右)。アビーが黙っているので、「入っていい、って言って」と催促する。「入っていいよ」〔日本語字幕の「入っていいわ」は、女性言葉なので間違い〕。中に入れてもらったオーウェンは、振り向くと、「君、ヴァンパイアなの?」と尋ねる。その後の会話はそのまま踏襲されている。原作でも、オスカルは父の家に行き、幻滅し、抜け出してアパートに戻る。エリの部屋の呼び鈴を鳴らしても返事がないので、今度は、呼び鈴で「エリ」とモールス符号を綴る。ようやく、「オスカルなの?」と声が聞こえる。ノックと呼び鈴の差はあるが、スウェーデン版と同じだ。エリは、ドアを開け、「入る?」と訊く。「うん」。しかし、オスカルは入らない。逆に、「入っても…いい?」とエリに訊く。「いいよ」。ここで、「悪魔が彼のなか飛び込んできて、オスカルはこう言っていた。『入っていいっていってよ』」 という一文が入る。エリは、ドアを閉めかけるが、結局、「入ってもいいよ」と呟く。オスカルが入った後で、エリは、「どうしてああいったの?」と訊く。「きみがいったんだよ」。オーウェンは、さらに、「きみはヴァンパイアなの?」と訊く。「血を飲んで…生きてるけど、それ…じゃない」。この台詞は映画とは逆。だから、オーウェンのさらなる質問を呼ぶ。「どういう違いがあるのさ?」。「ものすごく大きな違いがある」。この成り行きは、正直分かりにくい。恐らく、エリは、「他人を平気でヴァンパイアにする」ことはせず、生きるためだけに血を飲んでいるので、「違う」と言いたいのだろう。しかし、それでは分かりにくいので、映画では台詞を変えたのだろう。その後の年齢に関する部分は、基本的に両者に違いはない。
エリの部屋の中は、ほぼ がらんどう。あったのは、小さなテーブルの上に載った金属の卵とおもちゃ数点(1枚目の写真・左)。オスカルは「貧乏なの?」の尋ねる。エリは、「あの卵、売ったら、原子力発電所が丸ごと買えるよ。本気で」と答える。疑っているオスカルに、「指で押してみて」と促す。オスカルが軽く押すと、立体のジグゾーパズルになっていたステンレスの殻はバラバラになり、金でできた卵黄が現れる。オスカルは卵ではなく、脇に置いてあった6~7個の指輪に惹かれ、「あの指輪、どうしたの?」と訊く。エリは何も言わずテーブルから離れる(卵を無視されたからか、指輪のことに触れられたくないのか?)。オスカルもバツが悪くなり、「明日、配るチラシがあるから」と言って帰ろうとすると(原作では、チラシ配りがオスカルの大事な小遣い稼ぎ→チラシを折るという事前の準備作業が必要)、エリは、「お金のため? なら、あげるわ」と言ってお札を5枚渡す(画面では金額は分からないが、原作によれば3200クローネ〔約58000円〕)(2枚目の写真・左)。オスカルは、「殺した人から盗んだんだろ?」と言ってつき返す。「もらった」。「誰から?」。「いろんな人」。「もう、家に帰る」(3枚目の写真)「通してくれる?」。気まずい雰囲気だ。リメイク版では、オーウェンはまず、「パパはどこ?」と訊く。「パパじゃない」。その後で、テーブルの上を見る。ほとんどがパズルとボードゲームだ(1枚目の写真・右)。アビー:「パズルが好き」。その中に裏向けて置いてあった紙を手にとって見ると、アビーと別の少年が一緒に映った古い写真だった(2枚目の写真・右)。アビーの過去が分かったような気がしたオーウェンは、「もう、家に帰る」「通してくれる?」と言い、さらに、「僕に何する気?」と訊き、アビーは、「友達にはなれないって言った」と自己防衛をする。スウェーデン版とリメイク版で最も大きく違っている箇所だが、変更の真意が全く分からない。原作では、オスカルが、「ここにいたおじさん。あれは君の父さんじゃないんだ」と問いかけ、エリが「違うよ」と追認する。ここはリメイク版と同じ(ただし、発言者は逆)。部屋に何もないのを見て、「君は…貧乏なの?」はスウェーデン版と同じ。金属の卵についての、「世界にふたつしかないんだ。両方を持ってたら、ふたつとも売れば…原子力発電所が買えるかも」も同じ(価値は半分以下になったが…)。卵は、手に持って揺すると「何百…何千もの小さな細長い小片」になる。スウェーデン版の卵はせいぜい50ピース(これでは、なぜ、そんなに高価なのか分からない)。エリは、オスカルの持っていたウォークマンを、「音楽を聴くもの」と知って、借りる。しかし、あまりに音が大きかったので、耳からイヤホンをはぎ取り、壊してしまう。その代金として渡すのが5枚のお札。だから、スウーデン版と同じ構図だが、渡す理由は全く違っている。その後のお金の出所を巡る2人の口論はスウーデン版よりも激しい。そして、「もう帰る」と言い出したオスカルに「行かないで、お願い」と言い、手首をつかんで離さない。最後には、「エリの顔を思いきり平手でたたいた」とある。ひとしきり もみあった後、2人は休戦する。そこで話される会話は、映画には出てこないが、重要なので紹介しておこう。オスカルは、エリが本当の名前かどうか尋ねる。「ほとんどね」。「本名は?」。「エリアス」〔訳本では「エライアス」となっているが、“Elias”の発音は、正確にはエーリアス〕。「でも、それは…男の子の名前じゃないか」。
映画では、その後、2つのシーンが挿入される。1つは、ヴァージニアが「苦しい生」を断ち切るため、病室のブラインドを上げてもらい、炎を包まれて焼身自殺する場面(1枚目の写真)。その次は、コンニュの兄が家の鍵を借りにやってくる場面。コンニュは耳にガーゼを当てている(2枚目の写真)。リメイク版でも、ヴァージニアの場面は全く同じ。一方、ケニーの兄の場面は、ずっと前、オーウェンがアビーに「反撃」を自慢する直前に組み込まれている。原作では、ヴィルギニアの死は、もっとずっと後。一方、ケニーの兄の挿話は、前節の前になっている。ただ、後者は、挿入場所だけでなく、会話内容も違っている。最初は、まず傷の話。「ひどいな」。「うん」。「母さんが、そっちの耳はもうなおらない、一生聞こえない、っていってたぞ」。「まだわからないんだ。大丈夫かもしれない」。そして、オスカルについては、「そいつはおまえが何もしないのに、太い枝を拾って、おまえの頭を殴ったのか?」。「うん」。「くそ。どうするつもりだ」。「わかんない」。「助けが必要か?」。「いいよ」。「どうしてだ? おれと仲間でそいつを痛めつけてやれるぞ」。
オスカルが1人で夕食を食べていると、ドアの呼び鈴が鳴る。オスカルがドアを開けると、そこにはエリがいた。首で、入れよと指示するオスカル。エリは、「招き入れてくれないと」と言う(1枚目の写真)。「それをしないと、どうなるの?」(2枚目の写真)「部屋に入ると、何が起きるの? 何か壁でもあるとか?」。そう言うと、指で入って来いよと指示する。仕方なく部屋に入ったエリ。体が震えだし、全身から血が滴り落ちる。オスカルは、「やめて、入っていいよ!」と叫んで、エリの肩に両手を置く(3枚目の写真)。リメイク版も、全く同じ。原作では、「招き入れてくれないと」の後、オスカルが、「でも、窓から、もう…」と言う(以前、窓から入って来た)。「ここは、新しい入り口だもの」。この台詞は映画にもあって良かったのでは、と思う。
血まみれになったエリは、シャワーを借りて体を洗う。オスカルはレコードをかけ、体でリズムをとりながら、エリを待っている。そこに、エリが血のついた服を手に持ち、体にバスタオルを巻いて現れる。オスカルは、「ママの服を借りていいよ」と言い(1枚目の写真)、部屋を指差す。ドアが閉まってしないので、オスカルが覗くと、そこには全裸のエリが。エリにはペニスがない。代わりに、裂けたような傷の跡がある(2枚目の写真・左)。この画像は恐らくCGで、しかも外陰部などは映っていない。だって、これはエリではなくエリアス、元少年なのだから。映倫でなぜ「ぼかし」が入ったのか理解に苦しむ。映画では、原作と違い、エリアスについての説明が一切ないので、ここでエリが去勢された少年であることを観客に知らせることは極めて重要なのだ。「ぼかし」は、無知、かつ、無粋な行為と言える。その後、急に母が帰宅したので、エリは慌てて、窓から出て行く。オスカルは、窓から覗いて、隣の窓から顔を出すエリを見てほっとする(3枚目の写真)。リメイク版でも、ちゃんとレコードをかける。オーウェンは、「ママの『古い』服」 と言うが、アビーに「古い」ことがどうやって分かるのだろうか? オーウェンが覗く場面(2枚目の写真・右)はあるが、裸体は出て来ない。アビーは「エリ」に比べ、顔も声も女性的なので、恐らく、多くの観客は最後までアビーが少女だと思い込んでしまうだろう。原作でも、レコードはかける。大きく違うのは、シャワーを浴びた後、エリは、オスカルの目の前でタオルを落とし、「きみがはっきりわかるように」と全身を見せること。「脚のあいだには…何もなかった。割れ目も、ペニスもない。ただつるんとしているだけだ」。確かに、切断されてから200年も経っていれば、はっきりした傷跡などないはずだ。オスカルにペニスのないことを訊かれ、「昔はあった」と答える。「どうしちゃっただい?」。それに対し、エリは、「少しぼくになってみてよ」と言い、幻覚の形で追体験させる(映画と違って 母は帰宅しない)。エリアスが実際にどうなったかは、原作のあちこちに分散して書かれている。それらを まとめると、次のようになる。①エリアスの一家は領主の農奴だった。②領主がコンテストを催し、8~12歳の少年の全員参加を命じた。③エリアスは11歳の美しい少年だった。④お城の広間で、少年たちに贅沢なご馳走が振舞われた。⑤「男」は少年たちの中でエリアスを選んだ。⑥エリアスは暗い部屋に連れていかれた。⑦気がつくと、裸でテーブルにうつぶせに横たえられ、両腕をテーブルに縛り付けられ、口にはロープが入っていた。⑧テーブルには穴が開いていて、そこにエリアスのペニスが入っていた。⑨ペニスはナイフで切断され、オスカルは激痛で気を失った。⑩「男」は その血を飲み、さらに、咬む、飲むが くり返された。
その日の深夜2時、オスカルはエリの部屋に行く。翌朝、オスカルが起きると、1枚の紙が残されていた。「やあ、ボクはバスルームにいる。入って来ないで。今夜、遊ばないか? 君が大好きだ。君のエリ」(1枚目の写真)。リメイク版でも書かれている内容は同じ。原作は全く違っている。前に書いたように、ホーカンは転落でも死なずに、ゾンビ化している。エリは、ホーカンを焼こうと思い切って日中外に出るが、太陽の日差しで背中にひどい火傷を負い、必死の思いでアパートに戻る。玄関の鍵をかけている余裕などないので、そのままバスルームに直行し、浴槽の中で機能停止状態(一種の休眠)になる。だから、オスカルへの手紙などないし、ラッケが来た時、オスカルは部屋の中にいなかった。同じ頃、ヴァージニアを失って復讐に燃えるラッケは、以前から怪しいと睨んでいた「窓をダンボールで閉鎖した」部屋を調べに行く。ドアに鍵はかかっておらず、ラッケは中に簡単に入り込む(2枚目の写真・左)。リメイク版では、部屋に侵入するのは、儀式殺人の真相を探っている刑事。呼び鈴を鳴らし、ドアをノックしても反応がないが、誰が来たのかとドアスコープを覗きに来たオーウェンがうっかり音を立ててしまい、怪しいと睨んだ刑事は「警察だ。ドアを開けなさい」と命令。反応がないので、ドアを蹴破り、拳銃を構えて部屋に入ってくる(2枚目の写真・右)。ラッケが、絶対の確信を持って部屋に侵入するのは同じ。鍵は、前述の理由でかかっていない(スウェーデン版では、なぜ鍵がかかっていないのか不思議)。ラッケは室内を物色する。オスカルは机の下に縮こまって隠れている。ラッケは鍵のかかったバスルームのドアをこじ開ける。オスカルは、行ってはいけない場所に男が入っていったので、様子を見に行く。ラッケは、布で覆われたバスタブに目を留める。布を外し、さらに、その下の布をはぐと、中にはエリが寝ていた(3枚目の写真)。リメイク版では、刑事がアビーの残した紙を見つける。そして、バスルームに直行する。鍵はかかっていない。2重の布は同じ。ラッケは、部屋中捜して、最後にバスルームに行く。鍵をこじ開けるのは映画と同じ。浴槽には布などかかっておらず、代わりに血で満たされていた。手を突っ込むと中に何かある。そこで、ラッケは浴槽の栓を抜く。すると、全裸で横たわるエリが姿を現す。
ラッケは、エリの首にナイフを当て、刺し殺そうとするが、暗いので、窓のダンボールの端をめくると、明かりでエリが目を覚ます。一方、エリが危ないと思ったオスカルは、「やめろ!」と叫び、その声に驚いたラッケが振り向く。そこに後ろからエリが飛びかかり(1枚目の写真)、ラッケの喉に噛み付く。恐れをなして離れるオスカル。事が済んだエリは、オスカルの背後から近付き、背中を抱きしめる(2枚目の写真)。エリの口は血で真っ赤だ。その後、「ありがとう」と言うのはオスカル(なぜ?)。しばらくして、対面した2人。エリは、「ボク、もう行かないと」と言い、オスカルにキスをする(3枚目の写真)。長いキスが終わり、顔が離れたオスカルの唇にも血が付いている(4枚目の写真)。リメリク版でも、窓のダンボールの端をめくってアビーが目覚め、オーウェンが「やめて!」と叫んで刑事の気がそらされる点は、相手が違うが同じ。そして、その背中にアビーが襲いかかる。首から血を吸われる刑事の顔を、申し訳なさそうに見るオーウェンが追加されている。その後、アビーがオーウェンの背中を抱くのは同じ(2人とも黙ったまま)。2人のキスシーンは同じ。原作では、バスルームに電気が点くので、窓の光は入れない。だから、エリは寝たまま。ナイフで殺そうとしたラッケに対し、オスカルは「だめえ!」と叫ぶ。ラッケは、落ちついて、「こうする必要があるんだ」と言い、オスカルは再度「やめて」「待って」と止めるが、ラッケの決心は変わらない。ただ、その間にエリが目を開け、反撃に移る。オスカルは部屋を出て、玄関のドアに鍵をかける。だから、映画の残り3つのシーンはない。ただ、その日の午後、オスカルがエリのアパートから段ボール箱を2つ(現金入りと、パズル入り)を自分の部屋に移したこと、さらに、ベッドで抱き合って話したと書かれている。エリ:「きみも同じようになりたい?」「もちろん、なりたくなんかないよね」。最後に、エリはオスカルにキスをする。シャワーを浴びているので、唇に血はつかない。
その日の夜、エリを乗せたタクシーが走り去る(1枚目の写真)。窓から見送るオスカルは寂しそうだ(2枚目の写真)。リメイク版も同じ。原作では、エリがいつ、どうやって出て行ったかは書かれていない。しかし、段ボール箱を2つ移した日の夜出て行ったことは間違いない。この点に関し、「エリは千クローナ札を数枚とキューブしか持っていかなかった」と書いてあるが、そんな少額の現金でどうする積りだったのだろう?
時間の経過は不明。日中、オスカルに電話がかかってくる。コンニュの仲間だが、如何にも、コンニュが悪いようなことを言って安心させた上で、体操の先生が呼んでいるから今夜来いと誘う。夜、体育館に出向いたオスカルに、先生は、「水中エアロビクスから始めよう」と声をかける。体育館の外では、コンニュと、その兄が、予め用意しておいた大量の木材に灯油をかけている。プールに入ったオスカルの前では、先生が音楽をかけ、自分は足踏みをし、オスカルには体を動かせている(1枚目の写真・左)。そこに、コンニュの仲間がゆっくり歩いてきて先生に耳打ちする〔火事を知らせにくるなら、走るのが普通では?〕。先生は、「何だと!」と言うと、大急ぎで走り去る。建物の外のゴミ置き場が火事になっていたからだ(2枚目の写真)。リメイク版では、特に呼び出しもなく、オーウェンが体育館に行く。ロッカールームにいるオーウェンを見つけた先生は、「今日は、水泳からだぞ」と声をかける。体育館の外では、コンニュと、その兄が、予め用意しておいた大量の木材に灯油をかけている〔いつオーウェンが来るか分からないのに、毎日用意していたのだろうか?〕。プールでは、先生がオーウェンにつきっきりで、泳ぐ練習をさせている(1枚目の写真・右)。すると、プール室のドアが開き、「先生、火事です!」と声がかかり、先生は急いで出て行く。ゴミ置き場が火事なのは同じ。原作では、11月9日にエリが出て行った翌日の10日、オスカルは、教室にあるヨンニの机に放火する。耳に重傷を負わされ、さらに、放火までされ、今度は兄が復讐に参加する。運動への参加を促すウソ電話は、スウェーデン版と同じ。オスカルは重量挙げのトレーニングの後、先生に言われてプールに入る。先生は、「オフィスの電話が鳴ってます」と言われてプールから出て行き、待ち構えていたヨンニの仲間に殴られて昏倒する。だから、火事はない。
プール室に、コンニュの兄とコンニュ、仲間1人の3人が入ってくる。兄は、「失せろ! 全員だ!」と命令し、中にいた子供たちは恐れをなして逃げ出す。そして、オスカルの前までやってくると、飛び出しナイフを見せ、「俺を知ってるか?」と訊く。「うん」。「なら、分かってるな。これから ちょっとしたゲームをやろう。お前は3分間 水に潜れ。できたら、ナイフでちょっと切るだけだ」。ここでナイフを飛び出させ、「できなかったら、片目をえぐり出す」(1枚目の写真)「耳には目をだ。分かるな?」。「できないよ」。「知ったことか」。そして、「思い切り息を吸え」と言い、髪の毛をつかむと、5からカウントダウンして水中に押し込む。1分でもう息が漏れる(2枚目の写真、矢印は兄の腕)。水中で我慢するオスカルの耳に、何かが壊れるような音が響いてくる。そして、誰かが足をバタバタさせながら引きずられ、次に頭だけ手中に落ちてくる。オスカーの髪をつかんだ手が離れ、肘でもぎ取られた兄の腕は、そのままオスカルの前を沈んでいく(3枚目の写真、矢印の先の小さな黒いものは、誰かの頭)。リメイク版でも、兄は全員をプールから出し、照明を消す(リメイク版の最大の欠点は、暗い場面が多いことだが、ここでもスウェーデン版は明るい照明の下なのに、片や ほぼ真っ暗だ)。オーウェンはロッカールームまで逃げるが、捕まり、両足をつかんでプールまで引きずって行かれ、投げ込まれる。その後の言動は同じ。3枚目の写真で矢印の先は、手中に上半身を入れたまま引きずられる仲間。原作では、ヨンニの兄は、他の子供たちを外へは出さない。照明も消さない。だから、他の子たちも一箇所に固まり怯えて見ている。ゲームでの唯一の違いは、潜水時間が5分と長いこと。そして、より大きな違いは、エリがプール室に入るにあたって、仲間の1人に「『入れ』といって」と許可を求める点〔公共施設に入るにも許可がいるのだろうか?〕。
エリの腕がオスカルを引き上げる。オスカルのボーっとした目に入ったのは、エリの大きな目(1枚目の写真・左)。エリを演じるLina Leanderssonのすごく印象的な目だ。それを見たオスカルは、満面の笑みを浮かべる(2枚目の写真・左)。最後にプールの全景が映る(3枚目の写真)。リメイク版では、オーウェンは自らプールから上半身を出して、何とか呼吸する。すると、オーウェンの頭の前に、血にまみれたアビーの足が立つ(1枚目の写真・右)。やはり、足だけでは寂しい。そのせいか、アビーを見上げるオーウェンの笑顔は、よく見ないと分からない程度だ(2枚目の写真・右)。原作では、この部分に該当する記述はない。
映画のラスト。オスカルが1人で鉄道に乗っている。オスカルの横には大きな木の箱が置いてある。中からトントンと音がする。オスカルは、モールス信号でそれに応える(写真)。オスカルとエリは、これからどうなるのだろう? その回答は どこにもない。リメイク版では、車掌が切符を見に来て、荷物がオーウェンの物かと訊く。そして、2人のモールス会話原作では、オスカルはストックホルム発カールスタード〔ストックホルムの西250キロにある人口8万人の都市〕行きの列車に乗っている。車掌との会話はもっと多い。しかし、最後のエリとのモールス会話はない。そして、その後、2人がどうなるか、ヒントすら書かれていない。
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